Vol.12 [ 小池ミモザさん ]何事も決めてしまう前に、まずはやってみる?? 人との違い・交差を楽しみながら、世界を舞台にダンスで表現
post date:2014.08.26
98年よりフランス国立リヨン・コンセルヴァトアールで学び、主席にて卒業。
01年スイスのジュネーブ・バレエ入団。
03年にモナコ公国モンテカルロ・バレエに移籍し、05年最年少でソリスト、2010年プリンシパルに昇格。
豊かな芸術性と抜きん出た技術によって、シディ・ラルビ・シェルカウイ、エミオ・グレコ、ヨハン・インガーなどの振付家にも選ばれ、創作に参加した。
07年から振付もはじめ、2012年にはモナコで日本をテーマにした新作を発表。
2010年より、芸術研究機関「Le Logoscope」の舞台芸術部門ディレクションを担当している。
廣瀬編集長(以下、廣瀬)
30日、31日の公演を前に、最終調整に入られているところだと思います。今回はどのくらい日本に滞在される
予定なのですか?
ミモザさん
モナコでの公演を終えてすぐ、7月29日に日本に到着して、30日から毎日リハーサルの日々です。いつもは夏にしか
休みがとれないのでそのときに3週間ほど日本に滞在するのですが、今回は日本公演があるので5週間の滞在。
終わったらまたすぐ、モナコに戻ります。
廣瀬
来日されて以来ずっと、練習漬けなのですね。スタジオでのミモザさんはエネルギーに満ちていて、こうしてお話を
うかがっても笑顔とナチュラルな雰囲気がとても印象的。見ているだけで元気になってしまいそうです。
その素敵なお名前は本名とか。
ミモザさん
私が生まれる前に両親が南フランスに住んでいて、自然に囲まれた中でいろいろなところに車で行って、キャンプを
したりして。そこでミモザの花に出会い、“恋をした”って言うんです。一番最初に「ミモザ」と名付けたのは、自分
たちの乗っていた車だったんですけど。「あれ、私2番目?」っていう(笑)。とても気に入っている名前、本名です。
廣瀬
可愛らしいエピソードですね。お母様が画家、お父様が建築家でいらっしゃるそうですが、ミモザさんがバレリーナを
目指したきっかけとは?
ミモザさん
私は小さい頃から音がなると踊っていたみたいで、6歳のときに母がダンススタジオに連れて行ってくれました。
友達に会うのも楽しくて、最初は遊びに行っていた感覚だったのが、ある日「これって遊びじゃないんだ。
真剣にやらなきゃいけないことなんだな」と子供ながらに自覚をした日があったんです。正確な年齢は覚えてない
んだけど、けっこう早い段階で、いつもと同じように行ったスタジオで突然。そのシーンは今でも明確に覚えています。
その日からスイッチが入ったんですね。
廣瀬
強制された訳ではなく。
ミモザさん
全然。うちの両親は好きなようにさせてくれて。だけれども私って、音楽がなるとそれはもう体全部を使って、赤ちゃん
らしからぬ異様な踊り方をしていたらしく(笑)、それをみて「あぁこの人はもしかしたらダンサーが向いているのかもしれない」
とは思ったみたいですね。母は画家になる前は音大を出てピアニストをしていたので、私もピアノなどいろいろやりました。
だけどピアノの前にずーっと座っていることが出来なくて。体で何かを表現するっていうのが向いていたんだと思います。
廣瀬
海外のバレエ団へ進むことになったのはどういった経緯があったんですか?
ミモザさん
私、日本では背が大きすぎて、先生に「あなたはダンサーになれません」って言われたんですね。この背に合う
パートナーもいないし、ダンスには向いていない、と。ここ(日本)ではダンスを続けられないということになって、
でもそこで「やっぱりこの子はダンスを続けた方がいいんじゃないか」と両親は思ってくれた。それで家族と決心をして
15歳のときに日本を出て、フランス・リヨンの国立学校を受けに行きました。
廣瀬
15歳で…! ミモザさんはひとりっ子とうかがいましたが、ご両親は相当の覚悟をされたのでしょうね。
ミモザさん
両親には本当に感謝しています。15歳の私は「ダンスを続けるには外国に行かないといけない」という一心だった
けど、逆にそれがありましたから。両親の方が辛かったと思います。
廣瀬
ミモザさんの夢を応援してくださっているんですね。
先生に「あなたはダンサーになれない」と言われて、悔しかったに違いないと思うのですが、“やめる”という
選択肢は生まれなかったのでしょうか。
ミモザさん
それはすごく悔しかったですよ。だけど、そこでやめたいという気持ちにはまったくなりませんでした。じゃあ
次のステップだ、続けるにはどうしたらいいだろう?って。なんでかよくわからないけど、でも続けるにはもう海外
しかないと。今思えば、それがあったから決心がついたわけで、先生に感謝…っていう考えにしています!(笑)
廣瀬
15歳で渡仏されてからは、家族と離れてひとりで何でもやっていらっしゃったんですよね。
ミモザさん
リヨンの学校に通っていたんですけど、友達にとても恵まれて。学校にひとり日本人がいて、彼女は11歳の頃から
フランスにいてフランス語も達者で。なんとかしてフランス語を習得したくて、ルームシェアをしていたその子には
日本語をしゃべらないで欲しい、とお願いして、ひたすらフランス語を聞いて、練習しました。2ヵ月後くらいには
音で単語の区切りがわかるようになって、半年経つくらいで自然と喋りだして。赤ちゃんが言葉を喋りだすような感じですね。
廣瀬
すごい。ダンスへの情熱はそこにも派生しているんでしょうね。でもフランス語を話す人はアクセント等にも
敏感と聞きます…。大変でしたでしょう?
ミモザさん
そう。聞き返されたりして、「ちくしょう!」と思いながら(笑)、「こんな風に言われないくらいにフランス語を喋って
やる!」と。そういう気持ちも力になっていたと思います。
廣瀬
人によってはネガティブにとらえるかもしれないことを、ミモザさんはポジティブに変えて捉えていらっしゃいますね。
ミモザさん
何でも見方だと思うんですよ。味方を変えただけでよくなることっていっぱいあると思うんです。
例えば、日本人で“外国の踊り”をやりに行く。それをネガティブに取る人もいるかもしれない。そこを「自分は
日本人なんだし、一人しかいない。それ自体をキャラクター、自分のよさにしてしまえば」っポジティブに考える。
モンテカルロ・バレエ団に入ってからは、ひたすら自分の個性はなんだろう、それは日本人であることだ、と
そう意識して、この黒のロングヘアもキャラクターになっているんです。日本に帰ると必ずみている歌舞伎も、
ダンスに日本っぽいものを取り入れて、オリジナリティのようなものを出せないかと考えたりしています。
廣瀬
違いを個性に、ネガティブをポジティブに、という。
ミモザさん
そりゃあ人生大変だけれども、大変なことから学べるものはきっとあって、後からみたらそれがあったから
一歩進めたってこともある。両親譲りの考え方に、自分でだんだん得てきた経験がプラスされて、そう考えるよう
になりましたね。
廣瀬
やっぱり、ご両親の影響って受けていらっしゃいますか?
ミモザさん
大きいと思います。自由な人たちなので、日本で浮き出ていた家族だと思うし、日本の社会でそれなりに大変だった
と思うんですよ。私も当時15歳で、自分の個性を活かしたくて、例えば着たい服がある。それに対するひとの視線
と時に闘い、窮屈に感じることもありながら、でもこうでいたい、と。
廣瀬
自分らしくあることを通したのですね。ミモザさんはポジティブさ、芯の強さと同時にたおやかさを感じます。
辛い経験から時に涙を流すこともあるのでしょうか。
ミモザさん
人前で泣くことは好きでないかもしれないけど、涙を流すことももちろんあります。一番大変だったのは、
20歳でモナコのバレエ団に入った頃ですね。当時私は一番下にいながら、試験を受けて主役に近い役を得る
こともありました。そうするとリハーサルの時間をいただけないので、舞台の後に毎晩ひとり自主練。さらに
ツアーが多い劇団なので、食事や環境の違い、時差ぼけ、睡眠不足などから体調を崩してしまい、それでも
舞台に立たないとならない…という。ひとりでこなす量が多すぎて、当時はどうやったらいいかわからず
苦しかったんですね。
廣瀬
今でこそわかる管理の仕方も最初はわからずに苦戦されたのですね。どうやって乗り越えたんですか?
ミモザさん
「明日もあさってもこのツアーが、その次のツアーもある…」と先々を考えていっぱいいっぱいになって
しまった私に、一番のカナダ人の親友がこう言ったんです。「まずは今日をクリアしよう。その次に明日。
そうしたらまた少し先までいってみよう」。すると気持ちも楽になり、うまく運ぶようになった。あまりに
遠すぎて高すぎるゴールも、ちょこちょこ区切ってゴールを設定することで、負担を少なくたどり着けたんです。
廣瀬
それっていろいろなことにあてはまりそうです。
ミモザさん
そうやっていつも支えてくれる友達や家族のおかげで乗り越えられていますね。
廣瀬
日本人としてのアイデンティティを大切にしながら外国で暮らすミモザさんですが、日本の女性の魅力とは
なんだと思いますか?
ミモザさん
芯の強さだと思います。それはベースなので、ないといろいろなことができないと思うんです。何か起きても
うわーっとなる前に一度、一歩下がって考える余裕があるのもそうです。情熱と冷静を持ち合わせられる。
それだと時間も効率よく使えるしね。
廣瀬
それは海外にでたからこその発見なんでしょうね。そう聞くと、日本人女性として、私もなんだかうれしいです。
自分がどうかはちょっとわからないけど(笑)。日本の女性にぜひ、メッセージをいただけませんか?
ミモザさん
例えば、私の母は最初はピアニストで、その後も学校でピアノを教えたりして、絵描きになったのはすごく遅いんです。
彼女を母親にもち、私は年齢を理由に物事をあきらめるということは昔からなかった。自分の好きな物、熱中できるもの
を見つけられたら、人間って自分が思ってもみないようなエネルギーが出てくると思うんです。それは、やっぱり
やってみないとわからないですよね。やってみて違う、と思ったらそれはそれでよくて、でも何か得ているはずで、
それもまた大事なことなんじゃないかと。
廣瀬
やる前に決めてしまわないで、まずはやってみる、ということですね。
ミモザさん
その方がいいと思う。「こうできたらいいな」「こんなことを前から考えているんだけど…」だけじゃ何も始まらない、
何も起きないでしょうから。
廣瀬
とはいえ、年齢によって出てくる焦りってきっとあると思うんです。それで結果を急いでしまい、途中でやめてしまう…
というパターンも。
ミモザさん
私の場合は明確に「こうなりたい」というのはないんですよね。だってその人にはならない、なれないでしょう。
どう“その人じゃないようになる”か。それでいて同じようなレベルにいけるかを追求するために、見て研究し、
吸収しようとすること。そのままコピーしたら、たぶん自分が死んでいってしまうので、いいものを見て消化して
自分流にするのが、ひとつの“途中でやめてしまわない方法”かもしれないですね。
廣瀬
それがミモザスタイルですね。
ミモザさん
一番最後は自分がどう成長するかということに集中してやっています。それでいうと、ディレクターに褒められたら
それはそれでよし。でも褒められなくてもそれはそれでよし。彼がなんていうか、その人の言葉を待っているだけだと、
どんどんつぶれちゃう。言われたらプラスだけど、自分を傷めずにやる方法も大切だと思います。
廣瀬
ミモザさんのこれまでの経験がすべてあわさった重みあるアドバイスですね…自分を大切にしてあげながら成長する
って、とても響きました。どうもありがとうございます! それではここで、今回の公演の見所を教えてください!
ミモザさん
見所はありすぎるんですけど(笑)、このプロジェクトは世界中で活躍する5人の日本人ダンサー・振付家が集まって
どんなおもしろいことができるかとモナコ発信で始めたものです。日本が浮き島のように、いろいろな世界に
行けたらいいなというイメージです。ダンスって体で喋る言葉だと思うんです。私たち5人それぞれの色、違い、言葉
が交差したらどんなおもしろいことが出来るんだろうというのがまずあります。スタッフも踊り手もみんな一緒に
ゼロからものを作っていく、今回は新国立劇場のダンサーと交差して私たち5人では出来なかったもの、空気感が
生まれるのでとても楽しみです。一番うれしいのは皆「一緒に何か作りたい」という気持ちがすごく強いこと。その
ポジティブなエネルギーでいい舞台を作りたいなと思います。日本の電車では皆、モバイルをみていて目線が合わない
んですね。一番近くにいる人とコミュニケーションできていないけど、その人はすごく遠い人とつながっている。
みんな同じ空の下にいるんだけど、私がいるモナコのすぐ隣では戦争が起きている。そういった近さと遠さ、
不思議な距離感、違う人や言語の連鎖も表現したいと思います。私たちのこの爆弾のようなエネルギーを、ぜひ
生で見て実際に感じてもらえたらうれしいです!
廣瀬
ビデオでなく、実際に自分の目で見て、何を感じるのかも楽しみですよね。私もお伺いするので今からワクワク
しています! ミモザさん、今日はリハーサル前にありがとうございました。最後にNstyle読者にひと言お願いします!
画面右:加藤三希央さん/竹内ひとみに師事。11年モナコ王立グレースバレエ学校スカラシップ授与。2014年ローザンヌ国際バレエコンクールで6位に入賞し、この9月よりモナコ公国モンテカルロ・バレエに所属。
CLOUD/CROWD
公演日程:2014年8月30?8月31日
会場:新国立劇場
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/performance/140830_003724.html
(撮影/神ノ川智早 取材・文/Yuka Sato)
Nstyle主宰。航空会社の客室乗務員から、アルマーニ・ジャパンに入社、アパレルの世界へ。その後、タレントのスタイリストとして活動。現在は“女子力”を提案するスタイルプロデューサーとしてイベントや商品のプロデュース、ファッションブランドコンサルティングをはじめ、ファッション、ビューティー、ライフスタイル情報を雑誌・ラジオ等で発信している。
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